若い頃に出会った小説は血肉となる。村上春樹:国境の南、太陽の西

回想

昔、たぶん大学受験のために勉強していた時だと思う。

国語の現代文の問題の中に村上春樹の「国境の南、太陽の西」の文章があった。確か小学生のハジメと島本さんがレコードを聴いてる場面だったと思う。

あの時に感じたのは問題にしては不透明で曖昧な場面・描写だったにも関わらず、この小説を読みたいという気持ちだった。その事を受験終わったらじっくり読んでみたい本としてノートに記しておいた。長くは続かなかったけれど。

精神安定剤としての一冊

そのノートを大学に入ってから見つけて、その「国境の南、太陽の西」をブックオフで100円で買った。

それから定期的にひっぱりだして一気に読む。

「 国境の南、太陽の西」の評判は分からないし、読む人によってはただの不倫の話かもしれない。だけど、僕はすごく好きだ。あの埃をかぶった感じがすごく良い。

でも、たまに昔の自分を本を通して感じているのかもしれないと思う。本をたくさん読むようなタイプじゃないし、昔の自分に栄光があるわけでもないけれど、あの時読んだ自分と今読んだ自分は確実に何か違っていて、でも本は全く変わってない。読み返す度の新しい発見は自分の進化と退化(すごく相対的な)だとも思う。だから公平な批評は出来ない。

これか、大人が「若いうちに沢山本を読め」っていうのは、 と思った。

若い頃の五感と脳で味わう様々な体験っていうのは、もう煙草とか酒以上に中毒性の高いものになりうると思う。

さいごに

今の自分も若いとすると、今も小さな子供から愛されるジブリやディズニーやマックとかはこの先何百年も残っていくと思う。人間に余裕がある間は。それはエンターテイメントやファストフードの枠を超えて文化になると思う。

高校生の頃に読んだ何小節かの文章がこんな風に楽しめる事が嬉しい。もっとこういう事が増えたらもっと嬉しい。